人の言うことを聞くこと

  • 2019.02.15 Friday
  • 09:37

 

昔から親の言うことを聞かない子供だった。

 

で、今わかったのは、親の言うことを聞いていれば、もっと苦労しないで済んだことが

 

多かったなあということだ。(;_;)ごめんなさい。お父さん、お母さん。

 

色んな親がいて、その全てが正しいとは限らないということはあるけれど、少なくとも

 

その親が「自分のことを思って」言ってくれてることというのは、わかるものだ。

 

話は逸れるけど、親も親の初心者だ。特に初めての子供では、初心者中の初心者だ。

 

でも、二番目の子供だったとしても、二番目の子供に対する初心者なのだ。

 

初心者は慣れてない分、一生懸命だ。必死になりすぎていることもあるけれど、

 

親として、この子のためになると思うから、自分の経験を通して学んだことを

 

もとに、見返りを求めずに叱り、アドバイスしてくれるのだ。

 

 

親と同じで、人が自分のために言ってくれていることを、素直に聞くということは

 

大事なことだなあと、今までの苦労から、思うのだ。

 

言ってくれること自体が、愛情だ。

 

相手がどうなっても良いと思っていたら、何も言わない。放っておくだろう。

 

そういう人がいてくれるというだけで、すごく有難いことだ。

 

 

以前通っていた習い事の仲間が、「先生が言ってくれることを素直に聞けない」と言うので、

 

どうしてと聞いてみたら、先生は結局、ビジネス、お金のために言ってると思えてしまうと

 

言うのだ。悲しい考え方だなと、その時思った。

 

言ったその人は、そういう心境にならざるを得ない、何かがあったのだと思うけれど。

 

 

もし、その先生が未熟だったとしても、親も未熟だとしても、

 

言ってくれるということ自体には必ず愛がある。それを感じたら、聞いてみることだ。

 

自分はもっと未熟なのだと思い、素直になってみることだと思う。

 

そうすると、しなくて良い苦労も避けられることが多い。

 

 

 

 

 

愛のYoga

  • 2019.02.12 Tuesday
  • 19:18

 

 

前に、毎日の積み重ねの延長が今の立ち位置だ、と書きました。

 

毎日してきたこと、またはしてこなかったことも、繰り返し、繰り返し

 

一瞬一瞬続けてきたことで、私たちはここにいます。

 

私たちは、大体の人が基本的には、ぼんやりとでも、幸せになりたいと思って生きていると

 

思います。

 

でも、その幸せが何かはっきりしてない。

 

わからないから、仕方なく、今まで歩き続けてきたレールの上を

 

歩いている人もいるかもしれません。

 

 

物質的なことで、その瞬間満足して「幸せ」と思うこともあります。

 

人間ですから、それは当たり前だし、それが心を潤してくれる。

 

大切なことでもあります。

 

 

物質的なこととは何かというと、永遠には続かないものです。

 

そこから得た幸せは一時的なものです。

 

それがわかってないと、もっともっとと欲望が膨らんで、その欲望が満たされないと

 

不満や苦しみが生まれてしまいます。

 

だから物質的な喜びは、儚いものと心得て、味わったら手放していくことが大事です。

 

 

では、本当の幸せって何なのでしょう?

 

それは物質的な幸せの対極にあるものです。

 

それは、魂を震えさせることだと思います。

 

どうして、私たちが社会的な生き物として生まれたのか、と考えてみると、

 

もしかして、その喜びを得る練習をさせられているのかもしれないと思います。

 

魂同士が生み出すハーモニーに、人は喜びを感じます。

 

親子の愛、恋人同士の愛、夫婦の愛はもちろん、人は助け合って、支え合って生きていて、

 

そこには、少なからず、愛や思いやりが必ず存在しています。

 

それに気づいて、素直になり、自分の中の愛を再発見し、高めていくためのYogaが、

 

バクティYogaです。

 

言えなかった大切な一言を、言えるようになっていくって、素晴らしいこと。

 

これから踏み出す一歩に、一つだけでも自分の中にある素直さと、思いやりの心からする

 

行動を加えてみましょう。行き先が変わっていくかもしれません。

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緊張性コミュニケーション下手

  • 2019.02.05 Tuesday
  • 08:47

 

人と上手にコミュニケーションできないと、悩んでいる人は大勢いる。

 

シャイな性格の人や、人前で何を話したら良いかわからず緊張してしまう人、

 

人の話を聞かないで、弾丸のように話してしまう人などなど・・・

 

本当のことを言うと、(いや誰も疑ってないかもしれないけれど)

 

私はコミュニケーション下手だと自分で思う。

 

子供の頃は、緊張症で、「トイレに行きたい」と言うこともできず、

 

良くおもらしをしていた。

 

人が恐ろしかったのだ。

 

親しくない方や、自分が悪く思われたくない人と話すとき「緊張してるな」

 

と思うことがある。


それは、意識が自分に向いてしまっているということだ。

 

もちろん、失礼があってはいけない、と思う時も緊張するが、たいていは

 

自分がどう思われるか、どう見られたいかという考えから緊張が起きる。

 

弾丸のようにしゃべる人も、実は緊張したくないから喋り続けているのかもしれない。

 

 

 

コミュニケーションを取らなくても、(特に、会話)生きて行ける世の中になった。

 

自分の中に入ってしまえば、楽になるから、自分意識が強くなってしまう。

 

意識を自分以外に向けずにいると、独りよがりになって行く。

 

すると、緊張しない代わりに、他人との関係も希薄になっていく。

 

関係がなくなっても、しばらくは一人で生きて行けるかもしれない。

 

でも、いつか必ず寂しく辛い思いをする。

 

話すのが苦手、緊張してしまうのであれば、とにかく「聞く」ことなんだと思う。

 

聞いて共感するだけでも、変わってくる。

 

 

私は、本当は自分がコミュニケーション下手で、「作って」人と接して、緊張を

 

和らげようとしてきたことに気づいた時、

 

「ああ、力抜けばいいんだなー。だって自分はこれしかできないんだもん。

 

良く思われようとしなくていい。ただ、真摯に誠実に相手に向かえばいいんだ」と思った。

 

私の師が「意識を、相手の目に映る自己ではなく、相手に何を伝えたいかに集中することだ」と

 

おっしゃったが、伝えるという行為の中には、「一緒にいるだけ」もアリなんだ。

 

聞くこと。それを徹底しよう。練習しようと自分を戒めてる。

 

Yoga的には、ハートのチャクラである、アナハタチャクラを開いて、愛の感受性を高め、

 

喉の部分にあるチャクラである、ビシュッダチャクラ、(またはビシューディチャクラ)を

 

開くと、自己を表現したり、言いたいことが言える、人の話を聞けるようになると言われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アサナが教えてくれるもの

  • 2019.02.03 Sunday
  • 07:48

 

Yogaでよく、「手放す」という言葉を使う。

 

昔、初めてヨガのレッスンを受けた時にも、先生が「手放しましょう」と言ってたっけな。

 

その意味が全くわからなくて、結局ヨガってストレッチ?みたいな

 

印象で終わってしまった。なんでポーズを取るのかも、イマイチわからず・・・。(^_^;)

 

私のような、理屈で考える頭には理由が必要だったのかも。

 

まず、Yogaが他のエクササイズと違う部分についての説明がなかったので、

 

(先生はしてくださったのかもしれないけど、入ってこなかった自分だったのかもしれない)

 

そういう、精神的な部分にもアプローチできるのがYogaなのだ、ということがわからなかった。

 

 

 

クラスの中のアサナ(坐法、ポーズ)の練習で、片脚でバランスを取るものがある。

 

バランスは苦手な人が多い。私も上手ではない。

 

みんな必死になって、ポーズを取ろうとする。それは当たり前なのだが、実はそこにも

 

Yogaの学びがあることに気づくと、それが日常にも活かされる。

 

ポーズを目指すのではないのだ。

 

ポーズはただ向かう方向を示しているだけなので、そこに完全に到達する必要はない。

 

だから、バランスが崩れることにも、バランスが取れることにもこだわらなくて良い。

 

上手くやろうと思わず、丁寧に、順番に、プロセスを追い、いまの自分にできるところで

 

やってみる。

 

結果を出すことに捉われず、その瞬間瞬間に一生懸命になることが、この人生には

 

必要だということがYogaで学べる。

 

これが「手放す」ということ。

 

いかに私たちが結果に執着するか、いかに「これは自分のもの」という欲にとらわれて

 

生きているかということも、Yogaは教えてくれる。

 

アサナの練習だけでも、たくさんたくさん学べるものがある。

 

Yogaは奥深い。

 

 

「悪」?の背景

  • 2019.02.01 Friday
  • 14:25

 

私の好きな作家のSさんは、カトリックの信者だけど、人間性悪説(せいあくせつ)を

 

取られているそうだ。

 

人間は元々が悪いものだ、と考えていると、ひょんな事から、思いがけない親切を

 

受けて、「人間捨てたもんじゃない」という喜びを得られるからだそうだ。

 

まあ、これは、イコール、人間に過度の期待しないということと、彼女は世界中の

 

貧困、政治不安地域に援助をするために、視察に回っていらして、そういう地域では

 

盗み、暴行、横領、殺人が日常茶飯事で、そういう気の引き締め方をしていないと、

 

危険だからだとは思うけれど・・・・・

 

 

 

どうしてもその人の「悪い」ところを許せないとしたら、

 

その人がそうなのは、どうしてなんだろうと考えてみたらどうだろう。

 

 

例えば、同僚がろくに目も合わせず、自分に反対なことばかりを言ってくる。

 

口を開けば、人の悪口を言ったり、自分に八つ当たりをしてくる。

 

思い出せば腹が立つことばかりだ。

 

が、実はその人は夫と上手くいってなくて、離婚寸前で苦しい毎日を

 

送っていて、その反動が出てしまっていた、ということや、

 

自分に意地悪なことばかり言う人は、劣等感から嫉妬していたとか。

 

もちろん、だからと言って、本当はそうして欲しくはないと思うが、

 

本人も無意識でやっていたりするのだ。苦しくて苦しくて、そうせざるを得なく

 

なってたりする。

 

観察して、思いやってみると、みんな背景を持ってる。夫や子供や兄弟姉妹でも。

 

ストーリーを持ってる。自分にもストーリーがあるのと同じ。

 

そうすると、ちょっとだけ「仕方ないな」と思えたり、その人を認めることすら

 

できるかもしれない。

 

「上から目線」ではない。「下から目線」。

 

 

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が安定しない人へ 土台をしっかりさせよう

  • 2019.01.28 Monday
  • 19:25

 

昔の私は、何かを続けることが大の苦手だった。

 

好きなことだけは、夢中になってするので何とか少し上達するのだが、

 

気の進まないこと、興味のわかないこと(でもしなきゃいけないこと)ができなかった。

 

うつ病になった頃、自分をダメ人間と決めつけていた。あまりにもできないことが

 

多すぎた。人と比べてた。

 

先日書いた、まさに、「現状と妄想」のごちゃ混ぜになっていた。

 

 

 

その当時、ある本を読んだ。脳科学者の方の書いた本。

 

「コツコツと何かを続けることは、脳のトレーニングになる」

 

前頭葉の働きが悪い人は、根気がなく、飽きやすい。掃除が苦手で、忘れ物も多く、

 

段取り下手で、やる気が湧きにくくなるというようなことが書いてあった。

 

前頭葉は、歳をとってからも衰えることがあるという。

 

例えば、定年退職して仕事をしなくなって、いきなり脳を使わなくなって

 

だらしなくなったという時、前頭葉の衰えを疑った方が良いらしい。

 

 

 

 

この本を読んだ私は、本に従ってまずできることから始めようと思った。

 

・休みの日もできるだけ同じ時間に起きて、同じ時間に寝る。

 

・朝ごはんを食べる。

 

・毎日カバンの中身を整理する。

 

・毎日部屋の一箇所だけを掃除する。

 

単純なことなのだが、これを続けていくうちに、もっと色々なことができるように

 

なって来たのに気づいた。

 

料理はとても良い脳トレになるらしい。特に人のために、時間に合わせて何品か作るのは

 

段取りが重要だから、さらに脳に良い。

 

ここで大事なのが、「楽しみを見つけること」「できた自分を褒めてあげる」ことだ。

 

簡単にできる人はいいのだが、そうじゃない人にとっては、掃除一つとっても

 

すごい努力が必要だからだ。

 

「美味しく食べてもらおう」「こんな風にしたら、もっと美味しくなるかな」などと

 

思うと、少し楽しくなってくる。

 

何でもいいから、必ず一つやることを見つけて、やってみる。

 

コツコツ、休みながらでも良いので続けてみる。

 

すると、それが自分を支えるしっかりした力になってくれるのを、きっと実感できるはず。

 

その後、脳の筋トレでできることが増えた私は、英語の単語を毎日覚えたり、

 

毎日掃除をしたり、洗濯物がパリッと干し上がることに嬉しさを感じられるようになった。

 

面倒なことも「脳トレだ」と思うと乗り越えられるようになった。

 

全てをポジティブに考えられるようになっていった。

 

 

これらはYoga的に言うと、ムーラダーラチャクラと言う「自分の中の土台」を

 

安定させることだったのだと思う。

 

土台がしっかりしてなければ、家が立てられない。

 

土がふにゃふにゃしてるなーと思ったら、まず整地から始めてみよう。

 

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

委ねてみる

  • 2019.01.24 Thursday
  • 15:01

 

昔の話だが、自己啓発セミナーで、こんなワークをしたことがある。

 

1、自分の過去でも、現在でも何か辛いことがあったら、それを書き出し、

 

2、ペアになって、相手にその話を語る

 

 

・・・というもの。

 

それぞれのグループに分かれて行った後、ある方がこんな話をみんなにシェアした。

 

 自分はテレフォンアポインターをしている。

 

 毎日一生懸命電話をかけ続けたが、1本もアポイントが取れない。

 

 同じマニュアルを使って、同僚はアポイントが取れるのに、自分は取れず、苦しくて仕方なく、

 

 夜も眠れないくらいストレスを感じている。

 

 自分の何が悪いのか考え、明るく喋るようにしたりしても、ほとんどアポイントが取れない。

 

 壁に貼り出された、みんなの成績グラフを見て、自殺したいぐらい辛い。

 

・・・という話を涙ながらに話してくれた。

 

 

セミナーの先生がそれを材料に講義してくれるのだが、

 

わかったのは、

 

アポイントが取れないこと  =  自分が辛いこと

 

事実と感情をごちゃ混ぜにしてしまっているということだった。

 

(ちなみに、アポイントがたくさん取れても、取れなくても、お給料は変わらないと

 

言っていた。)

 

グラフの成績のどんけつが自分だと思うだけで、辛く悲しく・・・という話をしているが、

 

「アポイントが取れない」から辛いと決めつけて、自分を苦しくしてしまっていることが

 

だんだん浮き彫りになってきた。アポイントが取れないのは、単なる事象なのに、なぜ

 

そこで苦しまなければならないのか、ということだ。

 

アポイントが取れない  →  取れないのは自分のせいじゃなく、時の運のようなもの

 

と考え、取れるまで頑張ればいいのだと思えば楽になる。

 

それがわかったようで、シェアしてくれた方は、最後にはすっかり落ち着いていた。

 

 

先日スタジオアムリタで行われたバガヴァッド・ギーターの講座では、

 

死について、先生が話してくださった。

 

人間は誰でも死ぬ。

 

(でも、大抵の人が自分はすぐ死ぬとは思っていないことが不思議なのだが)

 

「死が訪れても、魂は不滅なのだから怖がらなくても良い。死とは肉体を

 

着替えるようなもの」という教えほど、自分を楽にするものがあるだろうか。

 

ある程度年齢を重ねた方々は、死への覚悟と準備を始めるかもしれないけれど、

 

それでもこの教典の言葉を知ることで、どれほど恐怖が薄らぐかと思う。

 

インドのホスピスでは、スピリチュアルケアという仕事の方が、肉体の最期を迎える

 

方々に、その教えを伝え、心のケアをするそうだ。

 

そしてみんな穏やかなお顔で、死を恐れずに迎え入れるという。

 

死ぬ時期というのは、自分が知らないだけで、実は決まっているそうだ。

 

この世を作られた方によって、それは決められる。

 

先生は「死ぬ時が来たら、受け入れればいいんです」とおっしゃった。

 

自分の力で動かせないことは、沢山ある。

 

「自分」から離れて、委ねてみることで楽になる。

 

それから、死について知ることで、人は安心して生きられるのだなあとつくづく

 

思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普遍のものさしに出会う

  • 2019.01.21 Monday
  • 16:13

 

昨日スタジオでバガヴァッド・ギーターの講座があった。

 

本論に入ってから2回目だったが、かなり真髄に迫る師の話が聞けたのが良かった。

 

みんなの質問やシェアをヴェーダ的に解説、解決してくださる先生は

 

本当に素晴らしい方だと思う。

 

ギーターをテキスト通りに説明できる人は、日本にもいらっしゃるかもしれない。

 

(ただ、そのテキストも、正当なグルパランパラーに属する、修行している方が訳さなければ

 

間違って訳されてしまうことが多い)

 

教典がどう生活の中で活きるかということこそ、この物質界で必死に生きる私たちに

 

必要なことだと思う。しかし、それを正しく説明できる方はほとんどいないと言ってよいと思う。

 

ギーターを言葉で理解しても仕方がない。

 

自分の体験を通じて、「あっ、これか」と気づくと、それはただの言葉ではなくなる。

 

 

ギーターというものさしは、時代を超えて普遍の絶対真理と言われて、本当にそうだなあと

 

思った。

 

相対真理は、ひと、時代、国、宗教などにに依存するけれど、絶対真理は永久で、

 

何にも左右されない。

 

バガヴァッド・ギーターに出会えること自体が、素晴らしい幸運で、それは今すぐに

 

芽吹かなくても、時限爆弾のように、その人にとって必要な時に

 

爆発するのだという。

 

必要なものは、必要な時に与えられる。

 

それを実感する。

 

 

 

見えない作用・反作用の法則

  • 2019.01.14 Monday
  • 22:37

 

まっすぐな壁にボールを投げる。

 

速いボールを投げれば、速く返ってくる。

 

100kmのスピードで壁に当てれば、(空気抵抗とかを考えなければ)100kmの速さで

 

戻ってくる。

 

物理の話?

 

はい。科学と物理です。

 

 

100kgの重さの行為をしたら、100kg分返ってくるってことです。

 

結果を伴う行為をサンスクリット語で、カルマと言います。

 

よく聞く、「カルマは前世でやったことが今世で返ってくる」というだけではなく、

 

ほら、今ここにもあります。

 

すぐ返ってくることや、今世中に返ってくることもあります。

 

旦那さんにイラっとして、強い言葉を投げる。

 

すると、同じくらい強い言葉で返ってきたり、同じくらいの量の反動が来ます。

 

あの人嫌い、と思ってると、その波動で相手にも同じくらい嫌われます。

 

対象から直接返って来ないで、回り回って別の方から返ってくることもあります。

 

意地悪したら、自分もいつか意地悪されたり、辛い目に会います。

 

作用、反作用の法則は、物質だけではなく、目に見えないところにも発生してるのです。

 

じゃあ、どうすればカルマの法則から逃れられるの?

 

作用しなければ良いだけです。

 

自分が苦しみたくないなら、他者や他の生命に苦しみを与えることを止めるだけです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

学ぶ

  • 2019.01.07 Monday
  • 19:17

 

「自分にはできない」

 

できるか、できないかを決めるのは自分ではない。やろうと思うなら努力をし、あとは

 

大いなるものに委ねることだ。結果が望むものにならなくても、そこに何かの学びがある。

 

そう思うと、楽になる。

 

実際、すべてのことから学ぶことはできるんだなあと思う。

 

それには姿勢が必要だ。

 

「私には地位がある」

 

「私には学歴がある」

 

「私には能力がある」

 

「私には経験がある」

 

と思うプライドと、ええかっこしい、知ったかぶりほど学びを邪魔するものはないと思う。

 

失うものはない。ゼロから。いや、マイナスから、と思って学ぼうと思う。