配る素晴らしさ

  • 2018.12.11 Tuesday
  • 08:47

 

昨日、私とGod sisterであるMacoちゃんと、グルのお宅にお邪魔しました。

 

目的はグルの奥様とのお茶会。

 

女子会です。^^

 

奥様のカラヴァティーさん、もう、なんと表現したらいいのかわからないほど素敵な方でした。

 

これ以上「こんな方です」と、私の狭いマーヤー(幻想)に覆われた心で言うのが

 

大変失礼なので、感じたことだけを書いてみます。

 

おうちについた時から大歓迎してくださり、プラサーダの嵐で私たちをもてなしてくださった

 

カラヴァティーさん。

 

*プラサーダ(神様に捧げた、その食べ残し。「お仏壇に捧げてから食べなさい」と

 

言われて育った方もいると思いますが、インド古来からの習慣が残っているのです)

 

その量が・・・・量が・・・半端じゃないのです。

 

しかも、どれもすごく手がかかるものばかり。そして、どれもめちゃくちゃ美味しい!

 

サモサという揚げ物の中に入っている詰め物は、ミルクにレモンを入れて分離させた

 

チーズのようなもの。黒胡麻とミルクを寒天で固めたプリン。

 

「シチューを作るわね」とおっしゃって、1から小麦粉をギーで炒め始めて、

 

話している間に作ってしまい、その間にも私たちにルイボスティーのおかわりを

 

注いでくださったり、柿を剥いてくださる。

 

「お二人が来るっていうから」

 

パンを焼いて、キャラメルアップルケーキとバナナケーキを、1ホールずつ取り出し、

 

「半分ずつ持って行ってね」

 

シチューとお汁粉まで、容器に入れてくださり、漏れないようにパッキングしてくださる。

 

「サラダもあるの」

 

美味しそうな大根サラダも詰めてくださいました。

 

もちろん、サモサも牛乳パックを切って作った箱にぎっしり詰めてくださいました。

 

「これで帰ってから、何も作らなくて済みます〜」 嬉し泣き

 

 

 

これを、全部・・・全部私たちのために用意してくださったなんて!

 

カラヴァティーさんは、毎日誰か最低一人にプラサーダを配るようになさっていると

 

話してくださいました。

 

近所のおじさんに。宅急便の配達の人に。

 

近所の集まりがあったら、必ず持って行くそうです。

 

帰り、私たちを迎えに来たタクシーの運転手さんにまで、渡していました。

 

だから、常にプラサーダを切らさないように、カラヴァティーさんは

 

お料理をし続けているのです。いつでも誰にでも配れるように。

 

普通そこまでする人がいるでしょうか?

 

写真が横になっちゃってますが・・・うちのスタジオでもファンの多いカラバティーさんの

サモサ

 

 

 

プラサーダは、神様の食べ残し。

 

「まず神に供えて、その後で食べる主の献身者たちは、あらゆる種類の罪から解放される。

 

だが、自分の感覚を喜ばせるため食物を用意する者たちは、まことに罪そのものを

 

食べているのだ」バガヴァッド・ギーター 3章13節

 

 

プラサーダを配ることは、神様の愛を配ることと同じなのだと、改めて思いました。

 

私のグルが食べ物を特に大事にしなさいとおっしゃる意味もわかったし、

 

プラサーダを通じて愛を配ることの意味も少しわかったような気がしました。

 

インドのヴリンダーヴァンの寺院でも、毎日通りにプラサーダを配るカートが出ます。

 

誰でも無料で、寺院の神様に捧げた吉兆な食べ物を食べられるのです。

 

愛を欲しがるのではなく、愛を配る。

 

自分にできることで良いから、まず人にしてあげてください。

 

(もちろん、プラサーダを配れたら、こんな素晴らしいことはありません)

 

そうすると、不思議な幸福感に包まれることがわかると思います。

 

本当に色んなことが変わって来ます。

 

私はカラヴァティーさんから、またそれを教わりました。

 

今日、スタジオに頂いたプラサーダを持って行こう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yogaで強く

  • 2018.12.06 Thursday
  • 15:51

 

Yogaのアサナ(ポーズ)の練習をするのに、身体の柔軟性は、あまり問題にはなりません。

 

Yogaは、アサナの完璧性を求めるものではないからです。

 

もし完璧さを求めるものがYogaだとしたら、そこには「目的」「行き先」が生まれ、

 

瞑想としてのYogaは無くなってしまいます。

 

 

現実社会では、私たちは常に「目標」を掲げ、理想像を持って生きるように仕向けられます。

 

それはそれで必要ですし、大切なことではありますが、Yogaという精神の修行には

 

必要ありません。Yogaは、ただ行うだけで良いのです。必死に頑張って努力する必要も

 

なければ、自分が今どこにいるかを知る必要もありません。

 

「こうなりたい」という欲からYogaをするのであれば、そうなれない、そうなれなかった場合の

 

苦しみが生まれてしまいます。

 

Yogaは手段ではなく、意識のあり方。

 

アサナをとり、呼吸とつながり、その中でリラックスすることを学ぶ。それだけです。

 

(ただ二つだけ、先生によってアドバイスされることがあります。

 

呼吸をしっかり深くするように言われる(これが全てなので)

 

そして、「エネルギーの方向性」を正してもっとポーズを深めることと、身体を

 

痛めるやり方をしている場合に、それを正しくさせる ということにおいてです。)

 

 

「頑張る」という言い方が合っているかはわかりませんが、もし頑張るなら、

 

淡々と、できるだけ頻繁に、とにかくYogaをやる ということのみです。

 

「面倒だ」とマインドが言うならば、そのマインドの言うことを聞き、

 

「はいはい。面倒なのね」と言いながら、やることです。これが精神を鍛えます。

 


 

 

私はもともと身体が硬く、色んなアサナの完成形ができずにいましたし、いまだにできない

 

アサナの方が多いです。

 

ですが、とにかく自分を評価せずに練習するようにしています。

 

ただアサナの中に没頭するようにしているうちに、気づくと「あ、これは前は得られなかった

 

感覚だ」という期待してなかった結果がやってきたりします。

 

それは自分だけが気づく小さな喜びかもしれません。

 

でも、身体が硬い人の方が、その喜びをたくさん得られます。

 

 

昔、スキーを教えていた時に、生徒さんに、「地元(雪国育ち)のインストラクターよりも、

 

先生(私のこと)の方が、できない苦労がわかってくれるからいい」と言って頂きました。

 

身体が少しずつ伸びやかに動くようになってきた時に、その軌跡をふり返って

 

得られる喜びは、もともと「人よりも自分は硬い」と思ってやってきた人にとって

 

プレゼントです。

 

話は戻りますが、だからと言って、頑張らなくて良い。

 

淡々とYogaの練習をすること。気づくと自然に運ばれて、マインドが強く

 

しなやかになっていくのです。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

 

to be continued・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マインドを制する呼吸

  • 2018.12.02 Sunday
  • 23:14

ジャパ瞑想(マントラを唱える瞑想)をするためのビーズを売っているお店

 

 

私たちのマインド(心)は言うことを聞かない。

 

しかも、強いパワーを持っている。

 

 

マインドが「こうだ」と言ったら、それに抗うのは至難のわざなのだ。

 

そして多くの人は、そのマインドを「自分自身」だと思っている。

 

だからマインドの浮き沈み(感情)に合わせて行動させられてしまう。

 

マインドが嫌だと言ったら、それを避け、マインドが好きと言ったら、それに乗って行く。

 

それでは穏やかな日常は訪れない。

 

 

マインドがストレスを生むこともある。

 

事実を悪く想像して膨らますことありませんか?

 

妄想に囚われ、事実じゃないことに恐れを抱き、不安になる。

 

マインドと自律神経は繋がっているから、時に自律神経失調も起きる。

 

 

そんなマインドを制御して、マインドの主人になることを目指そう。

 

マインドは自分自身を覆っているもの。私たちは、外側からマインドを「見る側」に

 

立たなければならない。

 

 

 

このマインドを静める最も有効な方法が、瞑想。

 

じっと座して瞑想を行うことも、もちろんOK。

 

そしてYogaのアサナの練習も、実は瞑想になる。

 

Yogaのアサナの練習は、まず呼吸ありき。

 

呼吸器は、色々ある体の内蔵の中で、唯一自己制御できる器官なのだ。

 

胃や腸を自分の意志では動かせない。

 

心臓も、脾臓や肝臓も自分の意志で動かすことはできない。

 

だけど、呼吸は自分で変えられる。

 

ゆっくりな呼吸、早い呼吸、自分でコントロールすることが可能だ。

 

呼吸器は私たちの制御がないところでは、自律神経の支配下に置かれているので、

 

感情に左右されてしまう。

 

怒ると呼吸は速くなる。イライラすると速くなる。緊張状態にあると速くなる。

 

体が危機的状況にさらされると、自律神経は呼吸を速めて、戦闘モードに切り替え、

 

危機的状況に対処しようとする。

 

それを続けていると、身体はヘトヘトに疲れてしまう。

 

 

「ストレスたまってるなあ・・・」

 

それに気づいたら、まず呼吸に意識を向けてみよう。

 

呼吸が速くなっている。それを制御してみよう。

 

呼吸をゆっくりと深くしていくと、自律神経とマインドまでが言うことを聞き出す。

 

Yogaの練習で、様々なポーズを取ることは、人生の色んな面に出くわす

 

私たちを体現している。

 

私たちは、どんなポーズの中にも、必ず居心地の良い場所を見つけることができる。

 

それには呼吸の助けが不可欠だ。

 

呼吸を見つめ、呼吸をコントロールすることで、マインドを味方につける。

 

マインドと戦わず、マインドを手なづけ、しなやかにすることが、実は一番

 

大事と思う日々・・・。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

to be continued

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴリンダーヴァン 8 Love is art.

  • 2018.11.29 Thursday
  • 22:41

 

 

Love is art.

 

先日、ある方とバレエを観に行った帰りに話したのですが、

 

その方は建築関係のお仕事をなさっていて、子供の頃から建築に魅了され、この道に

 

進まれたのだそうです。そして、建築は、アートだとおっしゃっていました。

 

私も、雑誌などに、その建物が素晴らしい建築だとか、有名建築家が建てたとして

 

紹介されている記事を読んだりすると、素敵な雰囲気だなあと思ったりはしますが、

 

「アート」という言葉となかなか結びつかなかったのです。

 

で、その方に「どうしてその建物を好きだと思うのですか?」と聞いてみたのです。

 

すると、「理屈じゃない」って言うのです。

 

ブワーって来ました。

 

そもそも「好き」っていう言葉でも表わせないものなのかもと思ったんです。

 

肌っていうか、細胞っていうか、全身でそれにビビビッと流れ込んでいく感覚?

 

 

その日、私たちは「ジゼル」を観ました。

 

私は、実はジゼルという演目にそんなに魅力を感じてはいなかったんですが、

 

その舞台は、本当に言葉で言い表せないほど素晴らしかったんです。

 

泣きました。

 

お芝居で泣くなんて、ありえないと思っていたのに。ハートにじんじん来たんです。

 

踊りなのか、演技なのか、そんなことどうでも良いっていうくらい凄かったです。

 

それで、その「理屈じゃない」っていう言葉がまっすぐ入って来たような気がします。

 

 

私はいつもクラスの中で、言葉を使って物事を判断しないことを生徒さんにお伝えしようと

 

しているのですが、まさに言葉ではなかったのです。

 

バーヴァ(情動)を簡単にひと言で語ることはできないし、そのソースについて

 

説明はできても、どうしてその情動が湧いたのかっていうのは、説明できないし、

 

説明すること自体、無意味だなあと思ったのです。

 

 

アートって、言葉じゃない。

 

細胞レベルで、ハートで感じる風の流れみたいなものかもって思いました。

 

グルデーヴが Love is art っておっしゃることが、ちょっとだけわかったような

 

気がします。

 

でも、わからなくてもいいんだとも思います。

 

ハートを開いて、魂の感じる風の方向に向かおうと思いました。

 

愛に言葉も理由もいらない。ただ無償で愛することが究極の愛なのですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

続きはまた・・・

 

to be continued

 

 

 

 

 

 

 

ヴリンダーヴァン 7 Love is art.

  • 2018.11.27 Tuesday
  • 18:45

 

ヴリンダーヴァンで、グルデーヴにお会いして、たくさんのお話を聞くことが

 

できました。

 

毎日のように、グルデーヴの足元にみんなが集まって、輪になって座り、

 

グルデーヴの笑顔と愛に溢れたお顔を拝見し、ユーモアに満ちたお話を聞きます。

 

そのお部屋は、本当に普通の、質素と言っても良いくらいの小さなお部屋で、

 

グルデーヴはそのお部屋で1日を過ごされるので、本当にプライベートな

 

空間なのですが、大勢の人が引っ切りなしに出たり入ったりします。

 

その一人一人とグルデーヴは抱擁を交わし、子供にはキスをしてあげます。

 

本当に色々な国の方々で、全ての方がディボーティーなのです。

 

まるで、世界中からお父さんに会いに来る、娘や息子、孫たちのようでした。

 

足元に座る私たちは、その様子を見て、自分達も家族として、ここにいても

 

良いのだなあ・・・と幸せな気持ちになります。

 

グルデーヴは聖者で、偉大だから、滅多にお会いできないのだと、勝手に

 

思い込んでいたのですが、そんな考えはあまりにも小さかったと思い知りました。

 

「好きな時に、(グルデーヴがお時間あれば)お部屋に行っていいんですよ。

 

そして、悩みでも質問でも話してみてください」と言われた時には、えっ?

 

そんなことしていいの?という気持ちでしたが、お部屋に行くと、その意味が

 

わかりました。

 

 

グルデーヴは、みんなの質問に答えながら、例を出して、全ての人にしみ込むように

 

わかりやすく話されます。

 

だから、「こんな個人的なこと、話していいの?」という

 

ことも、みんなの役に立つし、個人的だからこそ、どんな人にも「あるある」と

 

思い当たることなのだと思いました。

 

 

グルデーヴは、毎回必ずと言っていいほど、Love is art.  とおっしゃっていました。

 

直訳すると、愛は芸術・・・・?んん・・・?

 

グルデーヴのお顔を見ながら聞くと、何となくはわかるのですが、いまひとつ、

 

センスが掴めずにいました。

 

その答えを、自分なりにキャッチできた・・・ような気がして、

 

今、ものすごくワクワクした気持ちです。

 

「芸術」って訳すと、なんか違うんですね。

 

アートは、アートなんです。

 

で、アートは理屈じゃないってことなんだと、ある方から学びました。

 

何だか、目の前がすごくクリアーになりました。

 

次回は、もうちょっとこれについて書いてみますね。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

続きはまた・・・

 

to be continued

 

 

 

 

 

積み上げて来た先にあるもの

  • 2018.11.23 Friday
  • 20:53

 

 

2011年に、こんなブログを書いてました。脳の衰えを防ごうっていう内容ですが・・

 

 

副交感神経と交感神経のことを書いたことがあったと思いますが、

人間はのんびりしすぎても、忙しすぎても、体に悪い影響が出るんですね。

脳もそうです。

忙しすぎ、脳の使いすぎから来るストレスは、うつ病などにつながる良くないファクターですが、

逆に多少の刺激を与えないと、脳は退化するらしいです。。

茂木健一郎さんが書いていましたが、人とのおしゃべりというのは最高の刺激らしいです。

確かに、人は何をしゃべるかわからない未知の刺激の塊ですからね。

人との会話から刺激を受け、それを情報処理して自分もアウトプットするのです。脳は

 

すごい速さで働きます。

人間は、安心することが好きなので、自ら求めないと、どんどん楽な方へ流れていきます。

ルーティン化した仕事、生活は脳に刺激を与えにくいので、その中から自分が意識的に

楽しみや喜びを見つけないと、脳は衰えてしまうのです。

いつも生き生きと輝いていたかったら、なるべく色々な刺激を自らに与えた方がいいわけ

 

ですね。

色んな人に会って、色んな考え方を知り、自分の引出しを増やしたいです。

 

 

 

脳について書いてますが、身体についてもう少し書きます。

 

今までたくさんの生徒さんにお会いしてきて思うのは、

 

「本当に今、ここに来てくださってよかった!」ということです。

 

今、ここに私たちが立っている場所は、過去から積み上げて、進んで来た線路の先なんです。

 

(ミヒャエル・エンデ 「モモ」に同じような表現があります)

 

その線路を、右方向に敷いたら、左方向に敷いたら・・・・きっと行き先が変わっていた

 

はずです。今ここにいる自分ではなかったかもしれないのです。

 

何歳になってもYogaはできます。

 

でも、身体や心を壊してしまってから始めるのは大変です。もしかして、もうできない方も

 

いるかもしれない。

 

だから、今、来てくださって良かったって思うのです。

 

コツコツと毎週、自分の身体と心と向き合って行くことは、最初は大変かもしれません。

 

脳と一緒で、人間は楽な方に流れたがるから。(笑)

 

色んな理由をつけては楽をします。

 

でも、コツコツ楽をしてたら・・・・その先には・・・・?

 

身体は何もしないと、コツコツと、確実に固くなり、確実に衰えます。

 

それは、昔、一時エアロビクスを教えていなかった時期、私自身が如実に感じたことです。

 

 

Yogaをすると、プラーナが身体を巡ります。

 

初めは疲れるように感じますが、終わった時、心地よい疲れとスッキリした感覚が

 

残ります。

 

プラーナは、私たちの思考にも、言葉にも影響を与えるものです。

 

私たちは、タマス(怠惰な性質)に流れず、Yogaをして、サットヴァ(徳性)に向かうことで

 

生き生きと毎日を送れるようになります。

 

仕事の疲れも、実は、アクティブレストと言って、動いて疲労物質を代謝させてしまい、

 

深く睡眠をとる方が、しっかり取ることができます。

 

健康な身体、健康な心を回転させ、前に向かわせましょう。

 

なんでも相談してください。「こんなこと聞いたら悪い」ことなんて、一つもありません!

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

続きはまた・・・・

 

to be continued

 

 

シンプルなポーズの中に、たくさんの気づきがあり、心が静寂に向かって行く

 

 

 

 

 

 


 

ヴリンダーヴァン 6

  • 2018.11.21 Wednesday
  • 19:11

みなさん、お祈りしてくれます。

 

 

 

昔から何に対しても「それはなぜ?」と聞き続け、納得いかないと信じない、理屈っぽい

 

性格だった。

 

 

昨日、スタジオで生徒さんたちと話した。

 

「何が自分を一番幸福にしてくれるかということを考えることない?

 

私は、お金を沢山儲けて、素敵な家に住んで、おしゃれな服を着て、美味しいレストランに

 

行ったり、時々海外旅行に行くことや、色んな資格を取って、ステータスを手に入れたり、

 

人から尊敬されたり、有名になりたいと頑張ることが、本当に人生の目的なのかなって疑問に

 

思っていたの。そのために働いて、時間を費やして生きて行くことが人生なのかって思っていた。

 

そうしたら、Yogaに出会い、ヴェーダンタ哲学に出会ったの。

 

ヴリンダーヴァンに行って、そこで知ったのは、お金よりも、モノよりも、地位や名声よりも、

 

もっとずっと大事なものがあるってこと。

 

そして、それは今まで知っていた何よりも、自分をすごく幸せにしてくれるものだったんです。

 

こうして、みなさんとお会いする喜びもその一つなんです」

 

ペラペラと、勝手に出てくる言葉。

 

みんな、真剣に聞いてくれ、ウンウンと頷いてくれた。

 

 

 

理屈はいらなかった。

 

ただ、感じるだけでよかったんだ。

 

心の人生が豊かになって行く方向に行けばいい。

 

自分も人も孤独ではないと、感じられる世の中になって行く方向へ向かえばいい。

 

その流れのひとしずくになれればいい。

 

 

若かった頃、うつ病になった。

 

その会社に一生いてもらえる給料の額っていうのを知った時、確か電車の車両1台だったかを

 

買えるだけって聞かされて、もう、本当に愕然として。(笑)

 

単純だったので、その物質的な限界を聞いたら、人間の一生って何なのかって思った。

 

自分の可能性ってところも、理想が大きいもんだから、そのギャップにあきらめてた。

 

その当時は、ボランティアなんかもしてたけど、こんな自分が人様の役に立てる量なんて、

 

たかが知れてるって決めつけてた。バカですね〜。理想ばっかり大きくて。

 

まず足元の愛を育むこともしてなかった。

 

そういう小さな愛を積み重ねることの先に、本当の幸せがあったのに。

 

こんなに歳を重ねても、まだまだまだの自分です。

 

バクティーYoga、ハートから来るYoga、よかったら一緒に学びましょう。

 

お気軽にコンタクトくださいませ。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

続きはまた

 

to be continued

 

 

 

 

 

 

 

我唯知足 を自分なりに考えてみたら

  • 2018.11.19 Monday
  • 19:30

 

 

京都の龍安寺のお庭にある手水鉢に刻まれている「我唯知足」(われ唯、足るを知る)という

 

言葉を初めて見たのは修学旅行の時。


「買っても買っても満足できないんだから、そこらへんにしといたら?持ってるもので

 

満足しなさい」😂という意味だと思ってました。

 

間違ってはいなかったと思うのですが、この「持ってるもの」というところが重要なんだと改めて

 

思ったのです。


物質的なものではなく、「必要なものは、もう自分の中にある」というスピリチュアルな俯瞰。


これに気づくことこそが、その本当の意味だったのだと。

 

これは、自分の中にあるものだけで行く!という奢った心ではなくて、必要なものは「自分」

 

が考え、求めるのではなく、与えられる、ということを知れということなのだと思いました。

 

私が色々理想を求めて頑張っていた頃よりも、いまの方がずっと楽で、周りの親切、協力が

 

得られています。

 

そしてその親切が、昔よりもずっとずっと大切で、身に沁みるように感じてます。

 

以前は自分の力を信じて頑張ろう!もっとすごくなろう!と努力し続けていたけれど、

 

そんなに上手くいかなかった。


成功してる人を見て、焦りもしました。

 

でも、「ああ、自分は道端の藁より力がない」

 

(ヴェーダの言葉、本当は「木よりも忍耐強く、道端の藁よりも自分を卑しく思いなさい」

 

という言葉)

 

と思ったら、急に外からの協力がやって来た。


そうか。アサナの練習が、力だけで成り立っているのではないように、「セレニテ」

 

または「セレニティ」(穏やかで、落ち着いていて、バランスの中に居場所を見つけると

 

いったニュアンス)の状態でいればいいんだなあ・・・と思ったのです。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

ヴリンダーヴァン 5

  • 2018.11.16 Friday
  • 19:07

私たちは沢山の愛を人から受けて生きています。それに気づいて感謝したい

 

 

人は一人で生きていけない・・・という意味が、今回のヴリンダーヴァンで、

 

わかりました。

 

私は、(婚活っていう言葉は好きじゃなかったですが)「婚活」してました。

 

その頃、すごく学んだことがありました。

 

相手がいると、自分のことがすごくわかってくるんです。当たり前ですが。

 

ちょうど、コウモリが超音波を出して、その跳ね返ってくる音で

 

物との距離を測り、自分の居場所を知るのと同じで、

 

パートナー探ししていると、自分の姿、自分の本当の性格、自分の良いところ、汚い面、

 

自分では普通と思っていたことが、相手の反応で、あれ?違うんじゃない?などと

 

気づいてくることもある。逆に、相手が気づくこともある。

 

また、自分にとって何が心地良いのかということにも気づく。

 

そうやって、だんだん自分にはどんな人が合ってるのかがわかってくるんです。

 

これは、パートナー探しだから、かなり深い、場合によっては生々しい気づきになりますが、

 

そうじゃなくても、私たちの日常は、家族を含め、人との関係で成り立っています。

 

人間は人との摩擦の中で、自分を育てていると言っても過言じゃないと思います。

 

どうして創造主は、私たちを社会的な生き物として創られたのだろう?と思っていました。

 

それがその答えだった。

 

私たちは関係の中で愛とは何?忍耐力って何?本当の優しさって何?ということを

 

学んでいくんですね。

 

だから、ハートをオープンにして、受け取っていくことができれば、たくさんの気づきが

 

得られます。

 

愛を学べると、愛を与えることもできるようになる。

 

それをヴリンダーヴァンは教えてくれました。

 

このガーランド(花輪)も、ひとつひとつ手で繋がれたもの・・・と思うと優しい気持ちになります

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

続きはまた

 

to be continued

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴリンダーヴァン 4

  • 2018.11.13 Tuesday
  • 10:37

ヴリンダーヴァンで出遭ったラーダとクリシュナのディーティー

 

 

ヴリンダーヴァンから戻って10日も経ったのに、ずっと頭の中にキールタン(マントラを歌に

 

乗せたもの)が流れていて、つい口ずさんでしまっています。

 

ヴリンダーヴァンは、旅先ではなかった。魂の戻る場所、魂が戻りたがる場所なんだなあ

 

と感じています。

 

FBに書きましたが、私が今回、一番感動したのは、ヴリンダーヴァンでは、1人ひとりの存在が

 

認められ、大切に大切にされるということでした。

 

「こんな (くだらない、と自分が思っている) ことを言ったら、みんなの時間を奪って悪い」

 

「プライベートな質問だから、みんなの前で言うのは申し訳ない」などと、抑えてしまう私たち。

 

でも、ヴリンダーヴァンでは、そんな遠慮はいらなかったのです。

 

なぜなら、個々の小さなシェア、疑問も、必ず他のみんなの役にたつから。

 

普段、この日本で暮らしていると、「個」を消すか、「個」の輪郭を薄めていないと、

 

生きにくいことが多いように感じます。

 

例えば会社などに属していたりすると、完全に組織のベクトルは、「利益」に向けられて

 

いるわけで、個人の都合は二の次にされがちです。

 

それでお給料をもらっているから、文句は言えないということかもしれません。

 

でも、この利益追求型、合理的思考法が、社会生活のパラダイムにもなっていて、一人ひとりの

 

個性よりもいかに効率よく、スマートに、高い生産性を上げられるかに重きがおかれて、

 

ついていけない人はこぼれ落ちてしまっている。

 

人は誰一人として同じではなく、どんな人にも輝く魂があるのに、それに目を向ける人は

 

少ないのです。

 

スピードのない人は「ダメ」の烙印を押されて、選り分けられるなど、

 

まるで、人間まで工業製品になったようです。

 

組織の中で働き、病気になったり、失敗したりした時に、我が身を犠牲にして

 

自分を守ってくれる人はいるでしょうか?個の責任は追及されるのに、組織は

 

責任を取ろうとしません。

 

 

先日、2月に一緒にヴリンダーヴァンに行った友達と話していて、自分の替えなんていくらでも

 

いると思ったら虚しくなる、と言っているのを聞き、自分もかつてそう思って仕事をしていた

 

ことを思い出しました。

 

ヴリンダーヴァンでは、自分の替えは誰一人いないと、思えるようになるのです。

 

でも、ここは日本です。

 

ヴリンダーヴァンと違う、と悲しがってないで、自分にもできることがあることに

 

気づきました。

 

それは、自分自身も人を区別しないで、全ての魂に愛を持つこと。

 

人を区別しなければ、自分も人から区別されません。

 

目の前の魂の個性を認め、その輝く面を見つけようとしてみる。

 

そして、その魂と向き合ってみる。

 

それは自分の魂の輝きを見つけることでもあります。

 

それを続けていると、不思議なことに、自分に愛が返ってきます。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

続きはまた・・・

 

to be continued