呼吸の優しさを感じよう

  • 2019.04.15 Monday
  • 17:03

朝、木々が朝日を受けると、一斉に夜溜まっていた酸素を放出するそうです。

だから、朝の林や森の中のお散歩は、清々しい感じがするんですね。

 

 

Yogaのクラスに初めて参加する方が、はじめに呼吸法をする時に、

 

それはお母さんのお腹の中から出てきて、まるで初めて呼吸をするかのようだと

 

感じることがあります。

 

それほど、呼吸をすることを忘れて、一生懸命生きてきたんだなあと思います。

 

そして、呼吸法も、一生懸命に「正しく」行おうと努力してくれます。

 

その時、健気で涙が出そうになります。

 

自分を縛るもの、自分を傷つけるもの。

 

それは、実は自分だったりするかもしれません。

 

「こうでなくては」と思い、頑張って、その通りにならないと、「自分ってダメだなあ」と

 

思ってしまうのです。特に真面目な人ほど、そうかもしれないですね。

 

そんな風に思わなくていいんですよ。

 

 

赤ちゃんは、羊水の中から出てきて、外界に出ると、初めての呼吸を

 

始めます。その途端、臍帯の役目が終わって、赤ちゃんは「自分の呼吸」と繋がります。

 

私は、その赤ちゃんのような呼吸を知った人たちに、心の中で、おめでとう!と言います。

 

呼吸の素晴らしさ、呼吸の恩恵を初めて知ることができたのだから。

 

呼吸はあなたを癒すもの。

 

呼吸はあなたに与えられたもの。

 

呼吸はあなたを縛りつけるものではありません。

 

頑張りすぎている人たちは、呼吸のシャワーを浴びましょう。

 

体の隅々まで空間を作って、そこに呼吸を満たしてあげましょう。

 

 

Radhe Radhe!

 

 

 

 

 

 

 

 

誰でも持っている能力がある

  • 2019.04.10 Wednesday
  • 14:31

 

いつもお読み頂いて、ありがとうございます。

 

今でこそ、振り返ると、気付かされるためだったのだと思うのですが、

 

若かった頃、自分がどうしてこんな姿に生まれたんだろう?どうしてこんなに醜いの?と

 

悩んでいました。それを友人に打ち明けたら、そんな小さなことに悩んでいるなんて、

 

ヒマなんだね、くらいに言われました。

 

わかっているわけです。そんなことに悩んでいるヒマがあったら、もっと役立つことを

 

するべきなのだと。世界には食べるものに困っている人、生死の境をさまようような苦しみの

 

中にいる人、それを助けようとしている人々もいると思うと、自分の苦しみなど

 

へ、にも値しないと。

 

そして、その人たちのようになれない(なろうともしてない)自分をさらに嫌いになってました。

 

どんな姿に生まれても、きっとそれを肯定できる何かがあれば、そんな風に思わないで

 

済んだのかなあとも思います。姿なんて、関係ないんだよ。身体はこの世を過ごすための

 

魂の乗り物というだけなのだよと知っていたら。

 

そしたら、考えても仕方ないことを悩む時間を使わず、自分ができることは何かという方向に

 

考えが向いたかもしれません。

 

どんな人にも、必ず生きる力と素晴らしいポテンシャルは与えられています。

 

でも、それに気づけないと、「自分は醜い」「自分は何もできない」「自分は不幸」と、

 

自分のことしか考えずに人生が終わってしまいます。

 

今、Yogaという素晴らしい生き方と巡り会えて、自分が人のために何が

 

できるか?と考えられるようになっています。

 

不思議なことに、そう考えることによって、自分のことはどうでも良くなったのですが、

 

それでもすごく、毎日が幸せになったのです。毎日自分のことを考え、なんとか幸せになろうと

 

したけど、幸せじゃなかった時のことを考えると、奇跡のようです。

 

ポジティブシンキング(サニーブレイン)の人の周りには、幸福が集まることが

解明されてきました。

(帯のNHKへの賛否は置いといて、6年ほど前の本なので、科学界では古い情報

かもしれませんが、根本は変わらないと思います。)

Yogaは生来の性格を変えるものではないですが、それでもネガティブさを取り除く

効果が大きいと思っています。

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

何か少しでも、(たとえ、違うなというご意見であっても)考えるヒントに

 

なったらいいなと思っています。

 

良い1日をお過ごしください。

 

Radhe Radhe!

 

 

 

 

 

 

下るための準備

  • 2019.04.05 Friday
  • 19:51

 

「できなくなる」ことの悲しさを味わったことがありますか?

 

私はあります。小さなことかもしれないけれど、その時はショックでした。

 

若いうちは、「できるようになること」「できるようになったこと」しかありませんでした。

 

いつも何か、目標を持って頑張っていました。

 

だから、できなくなるということがなかったし、想像もできませんでした。

 

 

ところが、ある程度歳を取って、エアロビクスの上級クラスから撤退しようと決め、

 

会社員もしながら、2年くらいはビギナーの方にエアロビクスを楽しんでもらいながら、

 

エアロビクスのイントラを続けていました。

 

そこへ、友人からのオファーで、1年だけでいいから、上級クラスを教えてもらえないかと

 

言われたのです。少し考えましたが、「1年だったら」と友達を助けることにしました。

 

が、2年のブランクは恐ろしいものでした。

 

「上級エアロ」を教えるって????

 

何と、何にもわからなくなっていたのです!!!

 

自分に驚きました。

 

必死に前のことを思い出そうとするのですが、どうやってクラスをやっていたかも

 

どう生徒さんをリードしていたかもわからない。

 

よく昔はできてたなーと、自分に感心する始末。

 

そこから、自ら上級クラスを受けに行ってみたりして、家で猛特訓したわけですが、

 

上級クラスのリードは、「上級クラスを生徒さんに教える」ことでしか、上手くならないと

 

いうことがわかりました。レッスンはライブだから、一人では感覚がわからないのです。

 

車の運転が上手になりたいからと、ゲームセンターでカーレースのゲームをするような

 

ものでした。

 

バカみたいですが、そこで「やらなくなると、できなくなる」ということがわかったのでした。

 

 

人間は誰でも歳を取ります。病気になったり、身体が衰えたりします。

 

若くても病気になる人もたくさんいます。

 

「できなくなること」や、「動けなくなること」「不自由になること」が出てきます。

 

その時が来れば、この身体はいつか滅びるということを、うっすらとでも実感できる

 

人もいるかもしれませんが、普段は、まさか自分がと思っている人も多いのです。

 

特に若い場合は。その時のショックは大きなものになります。

 

だからYogaを勉強するのです。魂の勉強を。

 

 

 

私はあの時、できなくなる人の気持ちが、ほんの1ミリくらいかもしれないけれど、

 

わかって良かったなあと思ったのです。

 

例えば、お年寄りになってみないと、その辛さは本当にはわからないかもしれないけれど、

 

でも想像することがちょっと容易になるというのかな。

 

だからかもしれないけれど、歳を取ってできなくなったことがあっても

 

悲しむ必要はないと言ってあげたいし、(言い方は難しいけど)

 

逆にできるようになることもあると、Yogaのクラスで伝えてあげたいなーといつも思うのです。

 

輝く笑顔をたくさん見たいです。

 

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

 

愛を伝える方法

  • 2019.04.01 Monday
  • 23:34

 

「シークエンスは生徒さんへのラブレター」という言葉は、

 

たくさーん、たくさん悩み多き生徒さんを見てきた人だからこそのもの。

 

昨日のTTの時の、先生の言葉。

 

「自分がその生徒さんだったら」と考えてしまうと、自分基準になってしまう。

 

よく、自分がしてもらいたいことを人にせよ、なんて言うけれど、心と体の

 

ケアにおいては、自分がしてもらいたいことが、相手もしてもらいたいこととは

 

限らないのだ。

 

その生徒さんがどういう状態なのかは、最初はわからない。

 

だから寄り添い、言葉を交わし、観察して、その方の気を感じて行く。

 

例えば、疲れている生徒さんがいる。それを癒せるシークエンスを作ろうとする。

 

疲れといっても、千差万別。人によって違っている。それを見極める。

 

さらに、それがわかっただけではダメで、そのお悩みをどう解決して行くのか?

 

そこまでやって、初めて思いが伝わるのですね。

 

謙虚になって、もっともっと、学びたい。

 

生徒さんに愛を伝える力をつけたい。

 

 

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

 

 

 

愛のYogaがあるところ

  • 2019.03.27 Wednesday
  • 23:29


愛をもらえずに育った人たちが大勢いる。

 

そういう人たちは、素直に人を愛したり、愛を受け取る方法がわからない。

 

愛を知らない人たちは、本当の自分は愛を求めているのに、素直にそれを出せず、

 

「私を見て、私に気づいて、こんなに頑張ってるよ。褒めて褒めて」と

 

虚勢を張ったり、アピールしている。

 

 

 

いつも自分がダーサ、ダーシー(仕え人)として、何ができるか考えている人たちは、

 

自分の為ではなく、愛のために働く。

 

愛からする行為は、義務やら、向上心やらを全て超える。

 

原動力が愛だから、見返りも求めてない。結果を奉仕として捧げる。

 

そんな人たちのコミュニティーは、自ずとみんなが支え合い、助け合っている。

 

いつもハートが飛び交っていて、居心地が良く、人が集まる。

 

愛の溜まり場とでも呼びたい場所。その根源が、聖地ブリンダーヴァンにある。

 

本当の愛のダーサ、ダーシーたちの中に入れば、何が本当の愛なのかを理解できるように

 

なっていく。

 

傷ついた心は癒され、孤独が好きだと思い込んでいた人も、実はそれが本当の幸せではないと

 

気づいていく。

 

アピールしなくてもいいんだよ、どんな人も愛される資格があるんだよと気づけたらいいね。

 

今年もブリンダーヴァンに行きましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魂の役割

  • 2019.03.20 Wednesday
  • 19:56

 

FBに書かせて頂いたけど、Workers Corpという、例えば、5万円を出資して、

 

自分も経営者になって、同時に労働者になる、という素晴らしい働き方を紹介した

 

素敵な映画を見に行った。

 

何に感動したかというと、そこに集まった人たちの中に、元は失業者だったり、障がい者

 

だったり、引きこもりだったりして、社会の中で不器用に生きてきた方々が

 

少なからずいらしたということだった。

 

そういう方々が、今、自分の役割を見つけ、与えられ、愛に溢れて生き生きと人のために

 

働いている。みんな、自分の立つ場所を見つけたのだなあと思った。

 

 

人は、誰かの為に生きるように作られているのだと思う。

 

だから、決して自分一人で生きようとしないでと思う。

 

Yogaは魂をオリジナルポジションに戻す為にある、と私の師匠は仰っている。

 

オリジナルポジション・・・・それは、本当は魂は愛に満ちているということに

 

気づいて、愛の為に生きて行くということ。

 

Yogaしよう。Yogaで内側の目を開こう。魂の役割に気づいていこう。

 

 

今日もお読み頂いて、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe (_人_)

 

 

 

 

 

 

 

 

繊細さを大事にする

  • 2019.03.12 Tuesday
  • 08:47

 

この世には、目に見えるものと見えないものがある。

 

それに反対する人はいないと思う。

 

見えないものは、「感じる」しかないのだが、その力は日頃から感じる力を

 

養うようにトレーニングしていないと開かれない。

 

 

私自身は、もともと鈍感だと思っていたのだが、それは、「面倒だから、まとめちゃえ」という、

 

感じる力を養うのと逆のトレーニングを、していたからだと思う。

 

赤色をただ「赤」というのと、例えば、「橙色っぽい赤」「桃色がかった赤」

 

「黒っぽい深い赤」と分けて捉えることとの違い。

 

「○○さんって、こういう人だから」と、カテゴライズするのは簡単だし、キャラとして

 

アイドル、またはアイコン化するとわかりやすいし、大勢の人との共通項になるので、

 

話がしやすくなる。赤系の色をみんな、「赤」と呼ぶのと似ている。

 

しかし、人一人ひとりは、全く違う個性を持っているのだから、その微細な違いを

 

感じなければ、本当の関係は生まれないのではないだろうか?

 

丁寧にその人と関係を結ぶと、愛が生まれる。繊細に見ると、全ての人に愛すべき点が

 

あることに気づいてくる。自分にもきっとあるはずと思える。

 

それが魂を結ぶ関係だと思う。

 

 

 

最近、「何か違うな」と思ったことを、そのまますると、大抵結果が良くならない、

 

ということに気がつき始めた。

 

「何か違う」というのは、言葉では言いづらいのだが、当然、損得勘定をしている

 

物質的な頭でのジャッジではないことだ。

 

物事の気持ち良い流れを妨げるやり方、というか。

 

その声を素通りして強行すると、やっぱり結果も気持ち良くならないので、焦らず、丁寧に

 

向き合って、流れを感じることが大切だなあと思っている。

 

心の声というのは、とても強いので、微細な感覚を見えなくさせてしまうのだ。

 

心の声のまま進んで、疑いもなく、「まあ、いいか」としてしまう。

 

強行は孤立化を進ませるし、愛も失われてしまう気がする。

 

これまで生きてきた経験が邪魔することも多々ある。

 

スピーディーにできないと評価されない傾向にある物質社会だけど、

 

それに流されてしまわないように、微細な感覚を目覚めさせ、本当の関係を作ると、

 

優しく豊かに生きられる。

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

ネガティブな感情はチャンス

  • 2019.03.06 Wednesday
  • 22:27

愛の寺院にある御神像

 

 

誰しも嫌いなもの、苦手なものがあると思うが、好き、嫌いという感情は

 

どこからやってくるのだろう?とYogaを始めた時、思った。

 

それは何かに照らして、自分の中でジャッジをしているということだ。

 

理由がわからず、嫌われたことがある人は、ジャッジされる方の気持ちがわかると思う。

 

 

 

負の感情を抱いた時、それは「気づき」のチャンスかもしれない。

 

自分がどうしてその人や事象を嫌いなのか・・・。どうしてこんなにイライラするのか?

 

どうして許せないと思うのか?人をカテゴライズするのか。

 

例えば、知りもしないのに、「あの人はああいう人だから」などと決めつけて接したりする。

 

その心の図式は、「自分が中心」になっている。

 

 

好き嫌いや善悪のジャッジをする時、必ずそこにはエゴ(自分中心の図式)が存在する。

 

「自分が正しい」と思っているからジャッジをする。

 

本当に自分が正しいのか?というのは誰も判断できない。

 

自分が王様で、その王様に物言う人も自分になっている。

 

そもそも正しいかどうかわからないのだから、ジャッジはしないほうが良い。

 

なぜなら、それが不幸や苦しみを生み出すから。

 

ジャッジをすることは、「識別力がある」ということではないと思う。

 

それは傲慢さだ。

 

 

エゴが生まれる奥底には、何かを求めている自分がいるような気がする。

 

愛されたい。

 

満たされたい。

 

抱きしめてもらいたい。

 

 

そういう自分がいるスペースを、傲慢という鎧で覆ってしまっていると、

 

誰も近づけない。

 

まずは内側の、自分の魂の小さな声を聞いて見てください。

 

本当は、自分は、愛をいっぱい持ってる存在だ、ということに気づいてあげよう。

 

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

Radhe Radhe

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その場にいること、向き合っていくこと

  • 2019.02.28 Thursday
  • 23:16

 

ノロケと言われてしまうかもしれないが、私はダンナをすごく尊敬している。

 

彼は笑いヨガをしてて、Yogaはしてないけど、その生き方が、私なんかよりずっとヨギー

 

みたいと思うことがある。

 

私は常に慌てて生きてきた。いつも心ここに在らずで、未来や過去に飛び回ってた。

 

他人からも「忙しい人」というレッテルを貼られてた。(心が飛び散っているので、

 

忙しそうに見えるだけだったのだと思う)

 

Yogaを中心に据えた生き方に変えた時、瞬間瞬間に向き合うことに注意するようになった。

 

それがどんなに素晴らしいことかと実感するようになったけれど、気を抜くと、意識が

 

その場にないということもまだある。

 

 

 

ダンナは、何か私と違う時間のリズムを持ってるなーと常々思っていた。

 

例えば食事。食事に向き合って食べている。

 

素晴らしい味覚を持っているとか、そんなんじゃないけれど、ひとかみひとかみ、じっくり

 

味わって食べているので、時間がかかる。

 

ダンナが人生で最も大事にしていることは、「対峙」することだ。

 

私のように、広く浅くではなく、深く、ひとところにじっくり向かってきた人。

 

仕事先で、「ホンマさんみたいなタイプにはかなわないなあ。水のように淡々と、

 

岩を穿つように仕事する 笑」と言われたらしい。

 

 

 

だから、私はダンナに生返事をされたことがない。上の空であしらわれたこともない。

 

いつもその瞬間は、私に向かってくれたのだ。

 

振り返ってみると、私はものすごく大事にしてもらってきたと感じる。

 

ノロケるために書いてるのではなくて、(ちょっとはあるのかな 笑)

 

もし自分の周りの人に、自分がそういう風に向き合ってあげたら、

 

自分もそういう風に、誰か一人にでも向き合ってもらえたら、世の中に、

 

そういう関係性がどんどん増えていったら、どんなに心と身体の病が減るかなあと

 

思うのだ。

 

大切にするっていうのは、箱に入れてしまっておくことではなくて、その場その瞬間に

 

向き合って味わっていくことなんだと、ダンナから学ぶ。

 

 

今日も最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬一瞬、プロセスが大切

  • 2019.02.23 Saturday
  • 23:20

 

私たちの住む世界は、お金と物質で満ちていて、それをたくさん手にした人が

 

豊かで幸福だと多くの人が思っている。

 

肉体や心は、いつも欲求を満たしたいと思って、私たちを活動させる。

 

お金をたくさん手にするには、普通は競争に勝っていかなければならない。

 

その為には、いつもいつも「結果」を求めなければならなくなる。

 

いかに早く効率よく、他者よりも良い品質のものを提供するか、というパラダイムに

 

多くのビジネスが従っている。

 

そうすると、そこには勝者と敗者、選ばれた者と選ばれなかった者、優劣、序列が

 

生まれてしまう。

 

人間の能力にはあらゆる面があって、一括りにこの物質界のモノサシを当てて

 

切り捨てることなどできないはずだ。

 

Yoga哲学的に言えば、私たちは全て「魂」なのだから、みんなが素晴らしいのだ。

 

だから、肉体や心という魂の入れ物の評価などは、必要ないのだが。

 

しかし、そんなことを言っても、多数がそういう物質界の中で生きているのだから、

 

その中で居場所を見つけなければならない。

 

どんな人でも、必ず必ず、素晴らしい面を持っている。

 

それは物質界の色眼鏡には映らない。

 

たとえその素晴らしい特質が競争するために役立たないとしても、全く落ち込むことはない。

 

人が認めてくれなかったとしても、それで良いのだ。神様は絶対に見ている。

 

それを信じることだ。そして、その素晴らしい面を、ビジネスではなく、

 

人に、神様に向けてみることだ。

 

そうすると競争に勝とうが負けようが、そんなことはどうでも良いことになって行く。

 

 

 

今朝のクラスで・・・というか、いつもお伝えしたいと思って言ってることなのだが、

 

Yogaはプロセスなのですよ、ということだ。

 

結果を出してこそ、素晴らしい!という、物質界の営みから外れているのだ。

 

丁寧に、ひとつひとつのプロセスを通って、自分を育てて行くことに意味がある。

 

その結果、素晴らしい場所へ行くかもしれないし、行かないかもしれない。

 

行けたら、それは慈悲だ。行けなかったとしても、そこには必ず意味がある。無駄ではない。

 

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございます。