ヴリンダーヴァン 4

  • 2018.11.13 Tuesday
  • 10:37

ヴリンダーヴァンで出遭ったラーダとクリシュナのディーティー

 

 

ヴリンダーヴァンから戻って10日も経ったのに、ずっと頭の中にキールタン(マントラを歌に

 

乗せたもの)が流れていて、つい口ずさんでしまっています。

 

ヴリンダーヴァンは、旅先ではなかった。魂の戻る場所、魂が戻りたがる場所なんだなあ

 

と感じています。

 

FBに書きましたが、私が今回、一番感動したのは、ヴリンダーヴァンでは、1人ひとりの存在が

 

認められ、大切に大切にされるということでした。

 

「こんな (くだらない、と自分が思っている) ことを言ったら、みんなの時間を奪って悪い」

 

「プライベートな質問だから、みんなの前で言うのは申し訳ない」などと、抑えてしまう私たち。

 

でも、ヴリンダーヴァンでは、そんな遠慮はいらなかったのです。

 

なぜなら、個々の小さなシェア、疑問も、必ず他のみんなの役にたつから。

 

普段、この日本で暮らしていると、「個」を消すか、「個」の輪郭を薄めていないと、

 

生きにくいことが多いように感じます。

 

例えば会社などに属していたりすると、完全に組織のベクトルは、「利益」に向けられて

 

いるわけで、個人の都合は二の次にされがちです。

 

それでお給料をもらっているから、文句は言えないということかもしれません。

 

でも、この利益追求型、合理的思考法が、社会生活のパラダイムにもなっていて、一人ひとりの

 

個性よりもいかに効率よく、スマートに、高い生産性を上げられるかに重きがおかれて、

 

ついていけない人はこぼれ落ちてしまっている。

 

人は誰一人として同じではなく、どんな人にも輝く魂があるのに、それに目を向ける人は

 

少ないのです。

 

スピードのない人は「ダメ」の烙印を押されて、選り分けられるなど、

 

まるで、人間まで工業製品になったようです。

 

組織の中で働き、病気になったり、失敗したりした時に、我が身を犠牲にして

 

自分を守ってくれる人はいるでしょうか?個の責任は追及されるのに、組織は

 

責任を取ろうとしません。

 

 

先日、2月に一緒にヴリンダーヴァンに行った友達と話していて、自分の替えなんていくらでも

 

いると思ったら虚しくなる、と言っているのを聞き、自分もかつてそう思って仕事をしていた

 

ことを思い出しました。

 

ヴリンダーヴァンでは、自分の替えは誰一人いないと、思えるようになるのです。

 

でも、ここは日本です。

 

ヴリンダーヴァンと違う、と悲しがってないで、自分にもできることがあることに

 

気づきました。

 

それは、自分自身も人を区別しないで、全ての魂に愛を持つこと。

 

人を区別しなければ、自分も人から区別されません。

 

目の前の魂の個性を認め、その輝く面を見つけようとしてみる。

 

そして、その魂と向き合ってみる。

 

それは自分の魂の輝きを見つけることでもあります。

 

それを続けていると、不思議なことに、自分に愛が返ってきます。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

続きはまた・・・

 

to be continued

 

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