我唯知足 を自分なりに考えてみたら

  • 2018.11.19 Monday
  • 19:30

 

 

京都の龍安寺のお庭にある手水鉢に刻まれている「我唯知足」(われ唯、足るを知る)という

 

言葉を初めて見たのは修学旅行の時。


「買っても買っても満足できないんだから、そこらへんにしといたら?持ってるもので

 

満足しなさい」😂という意味だと思ってました。

 

間違ってはいなかったと思うのですが、この「持ってるもの」というところが重要なんだと改めて

 

思ったのです。


物質的なものではなく、「必要なものは、もう自分の中にある」というスピリチュアルな俯瞰。


これに気づくことこそが、その本当の意味だったのだと。

 

これは、自分の中にあるものだけで行く!という奢った心ではなくて、必要なものは「自分」

 

が考え、求めるのではなく、与えられる、ということを知れということなのだと思いました。

 

私が色々理想を求めて頑張っていた頃よりも、いまの方がずっと楽で、周りの親切、協力が

 

得られています。

 

そしてその親切が、昔よりもずっとずっと大切で、身に沁みるように感じてます。

 

以前は自分の力を信じて頑張ろう!もっとすごくなろう!と努力し続けていたけれど、

 

そんなに上手くいかなかった。


成功してる人を見て、焦りもしました。

 

でも、「ああ、自分は道端の藁より力がない」

 

(ヴェーダの言葉、本当は「木よりも忍耐強く、道端の藁よりも自分を卑しく思いなさい」

 

という言葉)

 

と思ったら、急に外からの協力がやって来た。


そうか。アサナの練習が、力だけで成り立っているのではないように、「セレニテ」

 

または「セレニティ」(穏やかで、落ち着いていて、バランスの中に居場所を見つけると

 

いったニュアンス)の状態でいればいいんだなあ・・・と思ったのです。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM